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西富貴村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。伊都【いと】郡のうち。江戸後期に富貴村が東富貴村・西富貴村に分村して成立。高野山学侶領。村高は「旧高旧領」では265石余。なお天正19年10月日の高野山寺領注文(勧学院文書/高野山文書1)には「ふき,ひかしふき・にしふき」として717石余が記されている。「続風土記」によれば,家数50軒・人数293,小名は下村,神社は氏神の丹生四社明神社のほか岳竜王社があり,寺院は真言宗古義阿弥陀院のほか堂宇2がある。丹生四社明神社については「宮作り白木にて壮麗なり,山村の氏神とは見えかたし」と記し,古くは東富貴村の社を氏神としていたが,のち氏子争論により別に勧請したという。堺県,五条県を経て明治4年和歌山県に所属。同22年富貴村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7405876