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湯本村(中世)


 室町期に見える村名。那賀郡鞆淵荘のうち。「イノモト」とも書く。地名としては南北朝期から見え,建武3年12月26日の下司西信等連署田地寄進状(鞆淵八幡神社文書/県史中世1)に「六十歩〈ヲナシキタニ,トクマムユノモト〉」とある。明徳4年12月8日の有算畑地寄進状(同前)には村名で見え,「紀伊国鞆淵庄内湯本村柿木せマチ一所卅歩」が八幡宮に寄進されている。享徳4年正月8日の鞆淵荘雑事米帳(同前)には「〈いのもと〉刑部三郎」が見える。なお正長~享徳年間ごろと推定される年月日欠の同荘妙法寺村歩付帳(同前)にも「ユヤノモト」,同じく同荘本河村歩付帳(同前)にも「ユヤノモト」が見えるが当地とのかかわりは未詳。寛正3年3月7日の鞆淵惣荘置文(同前)には,惣の精神的統一の中心である八幡神社の修復について記してあるが,文末に惣の代表として「八人百姓」「十二人番頭」が署名しており,その中に「遊本番頭」が見え,文中にも「ゆの本かめくす」の名が見える。また永正5年2月27日の追記のある同荘鍛冶大工職売渡状(同前)にも「湯本番堂」が署名している。天正15年11月30日および同17年12月23日の同荘納帳(同前)には,鞆淵荘を構成する村の1つとして「ヰノモト」が見え,「ヰノモトノヘヤ」「ヲウヤ」「ヰノモトハト」「キタカイト」などの小字名が記されている。なお,「続風土記」湯本村の項には,阿弥陀堂の所在地として崎林という小字名が記されている。これは,天正15年11月18日の頼母子講注文(同前)に見える「サキハヤシ」にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7406990