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大国村(近代)


 明治24年~昭和29年の邇摩郡の村名。明治24年明治村は民意によって,大字馬路【まじ】が一村として独立,大字天河内【あまごうち】・大国は合併して大国村となる。大字は天河内・大国の2大字を編成。大正9年の世帯623・人口2,713。明治21年安井好尚により大国英和学校が開校。修学年限は3年で小学校卒業者を対象にした定員25名の私立学校で,同29年まで続けられた。柑子谷にあった大森鉱山永久鉱山所は,明治20年以降,大森鉱山の主力坑になり,大正の最盛期には1,000人の従業員がいたという。大正5年には,職員91,鉱夫は採鉱356・選鉱69・製煉39・工作90,計641人ということであった。永久鉱山経営のための物資や資材の納入には仁万浦や神子路【かんごじ】浦が利用され,仁万から大国を経由して馬車で運ばれ,街道筋はにぎわったという。大正12年閉山となる。明治38年から大森にあった邇摩郡立石東農学校が大国村に移転,邇摩郡立農学校と改称して,郡制廃止の大正12年まで設置され,同年5月仁万村に移転,同時に県立に移管された。昭和29年現行の仁摩町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7411068