100辞書・辞典一括検索

JLogos

29

黒松村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。石見国那賀【なか】郡のうち。江戸期を通じて幕府領大森代官所支配地。波積【はづみ】組に属す。邇摩【にま】郡今浦に置かれた今浦船表御番所の添村となり,番所の修復や建替経費その他を負担した。慶長7年8月猪飼太郎助によって検地が行われ,「石州那賀郡都治本郷内黒松分御検地帳写」があり(都治町森家蔵),村高は138石余。この検地によって都治本郷・後地【うしろじ】・黒松の3村に分かれたが,浜地の所属が不明のまま残されたから,波来浜【ならはま】の帰属をめぐって正徳年間から明治初年まで後地村との間で争いが続いた。村高は「石見国高郷村帳」では144石余,「天保郷帳」では152石余,享保10年以降定免制を実施(黒松村年貢免状)。社寺には,真宗法正寺・楽音寺,大島大明神・恵美子社がある(八重葎)。人口は明治3年の戸数127・人口551。慶応2年~明治2年は長州藩預り地。同9年島根県に所属。当時の戸数269・人口1,320で,うち漁を兼ねるもの190戸である。沿岸漁業,特に鰭網漁は江戸期より盛んに行われ,波来浜の砂浜は絶好の地引網場・イワシの干場であった。漁船39艘,サバ1,880貫・アジ420貫・イワシ4万220貫・ノリ120貫・ワカメ800貫の生産があげられている(皇国地誌)。明治13年波来浜の地域は黒松村の所属となる。黒松村の境域が後地村を海から遮断する形で,細長く大島まで延長しているのはその結果である。同22年町村制による那賀郡黒松村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7411912