加賀知田村(近世)

江戸期~明治8年の村名備前国磐梨郡のうち鳥ケ佐古山系西部の山上台地に位置する村名は,昔鍛冶職が居住して「かなちだ」と呼ばれていたのがやがてなまって「かがちだ」になったという宇喜多氏・小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」53石余,「天保郷帳」56石余,「旧高旧領」61石余なお,「備陽記」では,高53石余,反別3町9反余,家数14・人数95また村手鑑では,高53石余・又高7石余,田2町余・畑1町余,家数14・人数92明治4年岡山県に所属同5年の学制施行により,民家納屋に146番小学を開き,その生徒数は男12・女1同7年田尻村の145番小学や西谷村の147番小学と合併し西谷小学となる同8年田賀村の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7415459 |