箕輪村(近世)

江戸期~明治22年の村名。備前国邑久【おく】郡のうち。古くは笠加新田村と称した(元禄郷帳)。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに668石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに753石余。寛文季年調によれば,岡山藩士の丹羽・香取・森分・村上の4家の給地として合計450石余を上納している。大庄屋下笠賀村組合16か村の1つ,名主は太田家が世襲し,一時福永村名主も兼帯した(邑久郡大手鑑)。「備陽記」では,反別45町余,家数68・人数401。なお宝永年間の家数66・人数380,文久年間には47軒・218人という(邑久郡史)。用水は干田川から取水,貞享年間の吉井川坂根堰の完成後,水路の改修が実施された。道路は干田川堤防沿いに上流の土師村に至り,虫明北往来に通じた。鎮守は甲山にある八幡宮。明治4年岡山県に所属。同7年には田36町7反余・畑12町5反余。同17年の戸数47・人口192。同22年笠加村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7419803 |




