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福徳町(近世〜近代)


江戸期~昭和40年の町名江戸期は福山城下の町人屋敷地福山城の南東,北は新町,西は藺町・西町,東と南は西町はじめ上新町と称した町名は松平忠雅の治政(元禄13年~宝永7年)に出火が多かったので,当町の鞍馬山月性院の使僧正悦院によって改称したといわれる(旧県史)なお地内の安楽寺の東側の空地は下台と称され,永雲寺へ至る小路は永雲寺小路と称されたほか,鍛冶場という空地もあった下台は,水野藩政下で中間に焚出した下台所の意という「備陽六郡志」によれば,町の規模は197間余・3,958坪余,戸数238(本家44・表借家24・裏借家170)「福山志料」では,長さ197間余,戸数153・人数394享保7年の大火による焼失戸数244(家持49・借家195)明治21年の戸数119・人口452同22年福山町,大正5年福山市の町名となる同6年の戸数147・人口818同7年一部が南町となり,西町の一部を編入昭和20年8月空襲をうける同40年昭和町・船町・南町・住吉町となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7421999