石観音町(近世)

江戸期~明治22年の町名。山口町のうちの1町。道祖町の東に続く石州街道沿いに発達した町で,東は上宇野令村の古熊・下金古曽,これを北へ左折すれば下小路から八幡馬場町を経て今八幡宮に出る。「注進案」によると当地の観音堂は石観音といわれる。「山口古図」では石州街道は石観音町の東で縦通りに突き当たり,北方向の道筋に下小路とあり,石州街道はこの道を大殿大路東の交差点で東に折れ,下金古曽・上金古曽を経て宮野へ出たものであろう。また,同図によれば,下小路の1本西側の縦通り,すなわち石観音町の西はずれを北へ行く道には中殿小路の名があり,その通りの西側に「中殿」という邸がある。宝暦年間の家数26(古実類書集)。明治12年の周防長門諸郡一村限地券税帳によれば,畑1町6反余・宅地1町5反余。同16年の戸数53・人口194(県の統計百年)。同22年山口町の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7424582 |




