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美祢市(近代)


 昭和29年~現在の自治体名。大嶺町・伊佐町・於福村・東厚保【ひがしあつ】村・西厚保村・豊田前町が合併して成立。合併各町村の18大字を継承。大字は,旧町村域ごとに,旧大嶺町域は大嶺町,旧伊佐町域は伊佐町,旧東厚保村域は東厚保町,旧西厚保村域は西厚保町,旧豊田前町域は豊田前町,旧於福村域は於福町をそれぞれ冠称。市役所庁舎は大嶺東分の旧大嶺町役場に設置。昭和31年大字を廃し,大嶺町奥分・大嶺町西分・大嶺町北分・大嶺町東分・伊佐町河原・伊佐町伊佐・東厚保町山中・東厚保町川東・西厚保町本郷・西厚保町原・豊田前町古烏帽子・豊田前町嶽・豊田前町保々【とよたまえちようほうほう】・豊田前町今山・豊田前町麻生下・豊田前町麻生上・於福町下・於福町上の18町を編成。同33年楠町奥万倉の一部を編入し奥万倉が成立,同34年伊佐町奥万倉となり,同37年伊佐町堀越が成立し,合計20町を編成。同年県立美祢工業高校を開校。同41年旧大嶺小学校に宇部女子高校美祢分校(現美祢中央高校)を開校(美祢市史)。昭和38年5か年計画で厚狭川の河川大改修工事に着工(30年のあゆみ)。石炭産業は昭和36~40年が好景気の年であった。しかし,市内最大の炭鉱であった山陽無煙鉱業所は同46年に閉山。同47年榎山炭鉱,同48年大明炭鉱が閉山となった。一方,市東部の石灰産業は,日本石灰工業所・薬仙石灰・重安石灰が稼業している。採石の機械化による所有地内石灰石減少のため,小野田セメントは同53年東山を,伊佐セメントは同57年雨乞山を新たに開発して量産の長期安定を図った(美祢市史)。宇部興産は昭和50年に宇部~美祢間の高速道路を建設(同前)。昭和49年中国自動車道小月~小郡【おごおり】間が開通し,美祢インターチェンジが設けられた。昭和47年曽根工業団地,同60年美祢工業団地の造成に着工。また団地に隣接して美祢ハビテーションの造成に着工。さらに昭和40年からの農業構造改善によって「厚保栗」が全国の市場に出荷されるようになった。同55年国道316号の大ケ峠隧道が開通し,美祢~長門間が全面開通する。世帯数・人口は,昭和29年7,946・3万8,439,同40年8,621・3万4,359(男1万6,820・女1万7,539),同50年6,572・2万2,552(男1万694・女1万1,858),同60年6,541・2万1,027(男9,998・女1万1,029)。昭和30年の行政区で現在消滅したものには炭鉱社宅などの地域が多い。一方,新設された行政区は公営住宅などの建設によるもので,曽根住宅・上領住宅・前川通り・吉則台・大嶺高校住宅・日永住宅・渋倉団地・森中社宅・稗田・電化社宅・万倉地団地・森時住宅・雇用促進住宅がある。昭和40年に対して人口の増加がみられる行政区では,向原・曽根下・上領・下領東・下領西・下領住宅・中村住宅・吉則上・吉則下・東渋倉・滝口・助行・下内川・東丸山・中丸山・野崎・中万倉地・西本町・下村・大向上・下田代がある。同62年豊浦郡豊田町と境界変更。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7426606