矢玉(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ神玉村,昭和30年からは豊北【ほうほく】町の大字。明治24年の戸数388・人口1,622(男821・女801),厩2,寺院1,学校1,船155(徴発物件一覧)。同35年矢玉漁業組合設立。大正4年矢玉魚市場設置。同5年矢玉東簡易水道工事に着手,同6年竣工。昭和8年矢玉港改築。大正期から昭和20年の終戦期までは,朝鮮・大連方面への出漁が多く,戦後は対馬・五島・朝鮮近海へのフグはえ縄漁で栄えた。昭和30年以後は漁港が埋め立てられ,数回にわたり整備された。昭和30年夜珠保育所開設。同33年矢玉簡易水道完成。同44年,矢玉海岸から油谷【ゆや】町に至る海岸を,西長門海岸県立自然公園に指定,最近は釣客や観光客も多くなった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7426733 |