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椿泊浦(近世)


 江戸期~明治22年の村名。那賀郡のうち。椿泊浦村とも称する。寛文4年以後椿村から分村して成立したと思われる。徳島藩領。村高は,「旧高旧領」4石余ですべて森甚五兵衛の知行地。当村は,寛文4年の高辻帳には椿村枝村泊浦として見え,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳,「天保郷帳」には見えない。板野郡土佐泊に居住していた阿波水軍の将森氏は,天正年間長宗我部氏に従わず,蜂須賀家政の木津城攻略に功績があり,従来四宮肥後守の領有していた椿泊を中心に約3,000石の知行地を与えられた。これが森志摩守村春の時で,以来椿泊は阿波水軍の根拠地となった。文禄元年の朝鮮侵略に際して森村春は戦死,子の忠村は慶長11年江戸築城の運使を勤め,慶長19年の大坂冬の陣には蜂須賀至鎮に従軍している。水軍は参勤交代や藩主の子女の輿入など藩主の船運のすべてを行うなど森家の役割は大きかった。森氏の椿泊浦支配は他の町方・村方支配と異なって,独立性が強く,椿泊浦に居住する家臣を譜代と外様に分類した。外様は無禄であったが,譜代家臣には役目をつけ,扶持米を与えた。役目は仕置(裁判賞罰)・本〆(会計)・用人・用人格・侍医・伝侍(守り役)・奏者・目付・拝知方・林方などで,仕置は家老とも呼ばれ,おおむね武田家が担当した。椿泊浦の48軒の家来には各々1町2反余が免許地として与えられた(椿村史)。森家の譜代家来(浦士)は明治初年には65家となっている(同前)。天正年間に森村春が入部した時,椿村には屋敷地79間があり,当村の船泊りの意味を持つ椿泊を,森氏は城下に見立てて山下と称し,160間の屋敷地を含む根拠地を経営し,浦士48軒がある(同前)。椿泊は徳島城下から離れ,山野と海浜とに恵まれ,歴代の藩主が鷹狩・釣のため椿泊へ来て森家を毎年のように訪問しており,また南方へ巡視のおりなどにも森家に必ず止宿している(阿淡年表秘録/県史料1)。森家は蜂須賀家政から,椿泊以南海部郡内の漁業権を得ていたので,ほかの漁船は漁獲の中から1船ごとに魚1匹と藻類を森家に貢物として出していたが,寛政9年分一所が設置され漁業の運上金は藩が徴収することになったが,藻類は引続き森家の貢物とされた。伊島は徳島藩領に組み込まれ,海上防衛の要所で,同島遠見山に見張が置かれ,外国船発見時に烽を上げて中林村黒山の烽火台へ知らせ,黒山から徳島へ知らせるようになっていた。「阿波志」によれば,中福井・小谷・寺谷・出島・糖塚の5集落の名が見え,反別2町4反,租税について「十二石代以魚毎舟一品,寛永十九年以来貢五分之一代以銀,尚貢海藻伊島倣此森氏領之」と記し,戸数250・人数723で半分は森氏舎人とある。文政11年名西郡高川原村の桜間池に石碑を建てるために,海部郡東由岐【ひがしゆき】の海中から巨岩を運搬することになった。この時に舟子・曳方に当地の村人が当たり,諸物品や冥加金の供出に尽力した。当浦大東の海岸に川口番所が置かれ,外国船渡来に備え,久米家が代々番人として配された。庄屋は棚橋家。神輿海中渡御で知られる佐田神社は森家の先祖佐田九郎兵衛を祭り,古くは佐田大明神と称した。森氏が土佐泊から当地に移った時に勧請したもので,現社殿は寛永9年に上棟された。伊島の当所神社はかつては伊島大明神と称し,正保年間に網にかかった4斗樽大の大石を御神体に祀ってから大漁が続いたと伝承する。当地の神社にはほかに天神社・秋葉神社がある。寺院は真言宗鹿谷山普門院福蔵寺・同宗松雲山真如院道明寺・真宗寒江山等覚寺・浄土宗南面山華蔵寺。ほかに伊島に補陀落山真如院松林庵がある。福蔵寺は江戸期は佐田神社の別当で,道明寺はその末寺。伊島東北端の卒都婆崖にある野辺観音は空也ゆかりの地と伝える。先祖が椿泊城主四宮遠洲守で,森氏に仕えた当地の文学者宮崎修平は,貫名海屋に学問の教えを受け,俳諧を尾張人井上仙菴に学んだ。修平は漢文・漢詩・俳句に秀で,安政6年に私塾自厚塾を開いて漢学を教えた。生徒数は8人であったが,私塾は那賀郡では富岡村の相観塾と2校しかなく,一般の寺子屋より教育内容は高度であった。また地内では久米助八もその後に寺子屋を開いた。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県を経て,同13年再び徳島県に所属。明治7年字東の旧庄屋棚橋家に椿泊小学校が開設された。教師は徳島市富田の小出史益,宮崎修平・久米助八で,明治10年の生徒数83うち男67・女16(椿村史)。同12年伊島小学校設立。同年椿泊浦役所を字寺谷の民家を借用して設置。「那賀郡村誌」によれば,明治9年調の戸数450(森氏家臣59)うち伊島96,人数2,365うち伊島573で男1,217(士族154)・女1,148(士族168),船356うち漁船295,明治初期の税地は田8町9反余・畑3町3反余など,職業別戸数は農業2・商業47・漁業391・工業11,伊島では男は漁業,女は採藻漁業に従事していた。明治22年椿村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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