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板西郡(中世)


南北朝期~江戸初期の郡名板野郡が東西に分割されて成立郡の境は現在の板野町大寺の四国霊場八十八か所第3番札所金泉寺の正面から南方へ下る道が基準となっていた(県史2)坂西郡とも書く「南海流浪記」仁治4年正月10日条に「坂東郡」が見え(群書18),また鎌倉中期頃の成立とみられる「源平盛衰記」巻42の,阿波国に上陸した源義経が讃岐国屋島に拠る平氏を背後から討つために阿讃の国境を越える描写のなかで「阿波国坂東西打過ぎて,阿波と讃岐の境なる中山山口の南に陣を取」と見え,「平家物語」巻11にも「当国の住人,坂西の近藤六親家」と見えており(古典大系),この頃には板東・板西の区分が行われていたことが知られるなお,坂東・坂西と,ともに坂の字を当てるが,板野郡を分割した地名であることから本来は「板」の字が正しい郡名としての初見は,南北朝期(至徳~嘉慶年間か)に記された名西【みようざい】郡神山町阿野勧善寺所蔵の大般若経巻210の奥書で「於阿州板西郡吉祥寺書写了」とある(徴古雑抄3)当郡内の荘園としては,青蓮院門跡領板西荘・松島西条荘・柿原荘・日置荘・高橋荘などがあるなお板西荘は鎌倉中期に上・下両荘に分かれていた鎌倉期,板西荘において,貞応元年には米200石・麦200石のみであった年貢が,12年後の天福2年には米500石・麦700石・油5石・雑物と急増しており,荘域の拡大あるいは生産力の向上を推測させる(華頂要略/鎌遺2970・4687),同下荘地頭には信濃の小笠原氏,ついで安芸の小早川氏が補任されたが,相続争いにより同地頭職は幕府に収公され,永仁5年,幕府はこれを建長寺に寄進した元応2年,小早川氏に還付する旨の関東下知状が下されるが,ついに同氏の手にはもどらなかった(小早川家文書/大日古11‐2)同じころ,柿原荘地頭柿原氏と松島西条荘地頭佐々木氏との間で柿原荘内宮河内郷を流れる宮川内谷川の水利権をめぐって相論が起きていたこの両荘は隣接しており,ともに水の得にくい扇央部の地域をかかえていることが原因と考えられる(原田家文書)南北朝期,当郡はいち早く北朝の勢力下に置かれた「太平記」巻14によれば,「坂東・坂西ノ者共」が,建武2年11月に讃岐国鷺田荘で挙兵した細川定禅に従い京まで攻め上っている(古典大系)また観応3年5月20日の飯尾吉連代光吉心蔵軍忠状(飯尾文書/徴古雑抄2)によれば,北朝方の麻殖荘西方地頭飯尾吉連の代官光吉心蔵は,観応2年8月15日,観応の擾乱に乗じて蜂起した南朝方に備えて板西上荘内神焼(現上板町神宅)において昼夜警固にあたっている南北朝期~室町期に知られる地頭には,応永7年8月24日の細川義之宛畠山基国施行状(細川家文書中世編)に見える板西下荘の細川氏,天授5年3月21日の長慶天皇綸旨(熊野新宮文書/徴古雑抄2)で日置荘地頭職を寄進された熊野新宮が知られる日置荘は細川氏の阿波における本拠地秋月荘と,同じく細川氏の影響下にある板西上荘に挟まれており,長慶天皇の綸旨は実効性がなかったと思われる戦国期,当郡では,板西城(現板野町古城)に拠った赤沢氏が最も有力な国人であった赤沢信濃守宗伝は三好義賢の姪聟で,郡内の16か村,300貫を領し(古城諸将記/徴古雑抄7),赤沢12人衆を率いて三好氏の領国経営の一翼を担っていたしかし,天正10年8月の中富川の戦において,宗伝も諸将とともに討死を遂げ,天正13年の羽柴秀吉の四国侵攻まで長宗我部氏の支配下に置かれたなお室町期~戦国期にかけて,当郡内でも熊野参詣が盛んであったらしく,文亀2年12月13日の僧憲春置文(良蔵院文書/徴古雑抄2)に見える蓮華寺(現板野町犬伏)はすでに廃寺になっているが(板野町史),南勝寺とともに修験道寺院であった天正13年阿波国に入国した蜂須賀氏は在来の郡制を踏襲して,板東郡と接する当郡の東限を大寺村・西中富村としたなお板東郡の西限に位置する東大寺村・東中富村の間には街道が通り,現板野町大寺にある金泉寺所蔵の古地図によれば,同寺仁王門から南に通じる道を郡界線としていた蜂須賀領内の要地に置かれた阿波九城の1つである当郡の西条城には,森監物が配されて吉野川下流平野部と讃岐国境の押えとなったが,元和元年の一国一城令によってのちに廃された郡内には赤松則房領1万石(置塩領)が混在し,慶長2年の分限帳(秋山泰蔵文書)によれば,大寺・矢武・唐薗・神宅・宮河内が置塩領であった同領は同8年には蜂須賀至鎮夫人の化粧料となり,徳島藩領に組み込まれた板東郡とは文化や方言に相違があるといわれ,特に阿讃山麓地方では方言に顕著な差異が認められる寛文4年5月13日の郡併合御触書写(森家文書/民政資料)に「板東板西両郡一郡に成板野郡と改候」と見え,近世初頭に廃郡となったことが知られる郡域は現在の板野町(川端を除く)・上板町・土成【どなり】町・吉野町一帯に比定される




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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