樋山地(近代)

昭和30年~現在の鴨島町の大字名。もとは東山村の一部。東山村役場へは峠越えに歩いて12kmあり,同村の飛地的地形に置かれているため,行政面以外の通学・生活圏・文化圏・交通などでは西尾村と深い関係を有してきた。しかし行政面においては,戦中・戦後の諸物資の配給や農産物の供出,または選挙などすべて山向うの東山村の管轄下にあった。第2次大戦後は30世帯ほどあったが,昭和30年には15世帯・68人となり,ほとんどの人が山を下りて平地に住み,昭和60年には6世帯・16人となった。そのほとんどは老人だけの世帯で,樋山地は廃村の危機に直面している。明治期~昭和30年代まで,薪や木材・竹材などの林産物の切り出しが盛んで,住人は農業のかたわら,何らかの形で山林の労務にたずさわっていた。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7428563 |




