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東分(近代)


 ①明治23年~現在の大字名。はじめ飯野村,昭和30年からは丸亀市の大字。昭和30年からは飯野町を冠称。明治24年の戸数351・人口2,021(男995・女1,026),幅員東西12町・南北20町,学校1(徴発物件一覧)。明治31年飯野山山麓に仮隔離病舎を新築,同33年病舎および付属建物を建築,同36年役場を新築落成。大正3年隔離病舎を山麓から中央へ移転。同12年小作争議が起こり,同15年まで続いた。昭和6年飯野郵便取扱所開設,同11年飯野郵便局となる。同12年巡査駐在所新築。同26年村営住宅建設。江戸期からの焼き物は昭和28年頃粘土瓦工場(10工場・従業員数38)があり,煉瓦・瓦とともに蛸壺は有名。同29年の人口2,436。同30年川津村の一部を編入し,2集落(面積0.91km[sup]2[/sup],人口1,002)を宇多津町へ編入。同34年さきに分村し宇多津町東分となったうちの一部(0.038km[sup]2[/sup],世帯数13・人口79)を編入。農家は漸次兼業農家に移行。同50年字山下(青ノ山南麓)に市営墓地公園(11.5ha余,うち墓域3.4ha)完成。同54年字山下に発見された青ノ山1号窯を発掘調査する。同窯は全地下式無段登り窯(窖窯)跡といわれ全長9~10m,幅1.8m,高さは最高1.3m,傾斜角は中央部で19度,床面・壁面・天井面はすべて一面の花崗岩よりなり,6世紀末~7世紀前半に操業したと推定される。近くに数基の古墳もある。昭和56年の世帯数363・人口1,521(男735・女786)。同57年国道11号開通,沿線に飲食業などの店舗が進出しはじめた。②昭和30年~現在の宇多津町の大字名。もとは飯野村東分の一部。地内を東西に県道川津丸亀線が通り,近年は,国道11号のバイパスが開通し,道路沿いにガソリンスタンドなどが立地しはじめた。昭和34年一部を丸亀市飯野町東分に編入。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7430271