上唐川村(近世)

江戸期~明治22年の村名。浮穴【うけな】郡のうち。大洲【おおず】藩領。村高は「慶安郷村数帳」では70石余,うち田51石余・畑18石余,「元禄村浦記」70石余,「天保郷帳」74石余,「旧高旧領」113石余。元文4年ごろの特産は米・大豆・薪・ビワとある(大洲秘録/伊予市誌)。ビワは天保年間に大洲藩主が吉沢藤蔵という者にビワ苗数本を与えて地方特産物の発達につとめさせたという(伊予市誌)。宝暦5年の「村々田畑古用高帳」によれば,免率田6.61・畑4.42,家数69軒・人口279,天保2年の家数69軒,うち本門4軒・家子64軒・社家1軒,人口259(伊予市誌)。当村産砥石の発掘は明確ではないが寛保年間ごろからとの資料もある。寛政5年湊町に出店をもつ和泉屋佐重郎と当村伐子衆との間で砥石に関する買請契約書である「定」がかわされ,安政5年の年産高2万5,000個に及んだという(伊予市誌)。森川流域一帯には蝋の原料ハゼが栽培され,生蝋製造者らがいた。安永6年には,ハゼ木の立木改めが実施され,ハゼ1本につき銀札1分の運上が課せられた。氏神は字本谷の浜出稲荷五社大明神で,軍陣の守神と伝える。寺院は真言宗真成寺。明治6年愛媛県に所属。同年陶澗小学校出張校設置。翌7年勧善小学校となり,同16年下唐川村の明道小学校と合併し,下唐川村字豊岡の勧明小学校となる。明治11年下浮穴郡に属し,同22年南山崎【みなみやまさき】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7431418 |




