戸山村(近世)

江戸期~明治22年の村名。長岡郡のうち。土佐藩領。「南路志」では「東之内村 今曰戸山村」と見える。村高は,寛永地検帳97石余(南路志),寛文7年の郷村石付でも「東ノ内 戸山ノ事」として同高,寛保3年の郷村帳は98石余,「天保郷帳」では191石余,明治3年の郷村帳では亀岩とともに755石余(本田189石余・新田565石余)。元禄地払帳によれば,本田92石余はすべて御蔵知,新田127石余うち御貢物地17石余・池上小太郎領知34石・岡林十左衛門領知23石余ほか5人の領知。寛保3年の郷村帳による戸数42・人数190(男103・女87),牛4・馬22,猟銃1。また「土佐州郡志」では「戸山村 廿枝郷之内,東限天行寺・才谷村,西限瓶岩,南限宍崎,北限穴内・樫之谷」と見え,村の広さは東西20町・南北50町,戸数32,堂社は地蔵堂と権現社,土産は椎茸・薯蕷・桑とある。「南路志」では十二社があり,「忠義公御建立,神前ニ御紋居り有,慶安三寅年御葺替被仰付,尤御作事と申伝候へとも書付無之……当時本社共地下作事ニ相成」と見える。当地は歴代藩主の狩猟の地としてたびたび利用され,「土佐州郡志」では村内の湯屋之平などについて「在西之瀑北,忠義公出猟行舘処」と見える。文政5年から弘化3年にかけて当地で16回の鹿狩・猪狩が行われたという。また当村一帯の山林は御留山に指定され,土佐十宝山の1つとして保護されたという。明治4年高知県に所属。同22年瓶岩村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436505 |