奈半利町(近代)

大正5年~現在の安芸郡の自治体名。村制時同様大字は編成せず。大正9年加領郷の小学校を山の上から現在地に移転。同15年青年訓練所付設。昭和4年11月東浜青年夜学寮,同年12月奈半利小学校赤十字団を設立。同8年東浜防波堤完成。その後東浜宅地を払い下げて造成し,地区整理を行い,東浜防波堤を延長。また,営林署樋之口工場を誘致した。昭和7年頃の資料によれば,面積1.88方里,田206町・畑89町,戸数1,115・人口5,276,産業は農業と漁業を主とする。農産物の主要なものは米9万2,618円・生繭3万3,883円,キュウリ・スイカなど園芸物2万5,077円,麦1万2,650円などで総額20万円を超える。漁業は沿岸漁獲物・製造物をあわせて6万8,400円,ほかに工産として藤村製糸会社の製糸約25万円がある。また,奈半利川は鮎の名産地として知られ,年産額は数千円を示す。その鮎は姿形もよく香味で全国一といわれる。自然石も全国に名が知られ,奈半利石ともいい字古須川の海浜より産するとある(県誌)。同11年の生産総額68万5,600円のうち農産21万1,805円・畜産1万7,975円・林産1万2,328円・水産3万3,084円・工産41万408円,主要生産品は生糸・米・魚・繭(経済一覧)。同年米ケ岡分教場を現在地に新築移転,同27年1教室を増築。その後,小学校の北校舎を2階建てに新築,西川原の畑に用水路を設け,水田4町余がつくられた。第2次大戦後奈半利小学校へ進駐軍130名が数日駐屯していたこともあった。戦後,帰還兵や外地引揚者の帰郷で,人口は昭和23年度に7,520人となった。食糧増産のため付近の山々では開墾が始まった。また昭和21年南海大地震が起こった。消防組は大正初期に組織されて以来腕用ポンプを利用していたが,大正6年郡ではじめてガソリンポンプを購入,昭和6年自動車ポンプ,同26年には最新式の自動車ポンプを備えた。消防屯所は昭和5年に建設。第1部分団のほか第2部分団(東浜)は大正6年頃,第3部分団(加領郷)は昭和8年の設立。同22年自治警察が長田の消防屯所を仮警察所として発足。同年奈半利中学校が開校し,小学校の旧校舎で授業を開始,昭和28年校舎を新築。明治33年設立の農業会に代わり,昭和23年農協が設立された。同25年東浜の大火で110戸が焼失,復旧事業として町営住宅が646万余円で45戸建設された。奈半利港は昭和22年運輸省の指定港となり,同25年から近代的な港湾整備がなされ,同28年築港の着工式を挙げた。現在では内港・荷揚場整備・臨港道路拡幅事業などが順次完了,5,000t級の入港も可能になった。同48年鉄筋コンクリート3階建庁舎を新築。同53年民材市場奈半利共販所開設。同54年加領郷漁港に離岸堤完成。同56年4月池里養豚団地が完成。同年9月奈半利小学校鉄筋コンクリート3階建新校舎完成。自動的に船舶が正確な位置を測定できる第5管区海上保安部の中・近距離用電波航行システムのデッカ・ナビゲーター・システムの起工式が同56年6月主局建設用地の若杉で行われ,総事業費27億円で12月完成,同57年4月より業務開始。同年同月,田野町農協と奈半利町農協が共同で,中芸農協青果市場を西河原に建設。同年5月天津北団地と樋ノ口団地がともに完成した。なお当町には,加領郷・須川・米ケ岡・車瀬・中里・立町・東浜・六本松・樋ノ口・百石・上長田・下長田・平松・横町・東町・弓場・法恩寺・平・花田・宇川・久礼岩・大佐手・西ノ平・池里の通称地名がある。世帯数・人口は昭和14年1,251・5,904,同57年1,629・4,909。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7436715 |




