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鳥飼村(近世)


江戸期~明治9年の村名筑後国竹野郡のうち地内の一部を南鳥飼村として2村に区別することもあったが(在方諸覚書・文化4年田畠畝数斗代帳),郷帳類では鳥飼村一村として記載される東を佐田川(高食【こうじき】川)が流れて筑後川に合流する地点の右岸で,北部を床島用水が走る肥沃な沖積地に位置する地名の由来は古代の鳥飼部の居住によるという(日本書紀・豊比咩神社縁起)はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領唐島組に属す村高は,「元禄国絵図」218石余,「在方諸覚書」の古高は鳥飼村301石余・南鳥飼村268石余,「天保郷帳」258石余,「旧高旧領」665石余筑後川沿いであるが,やや地高で畑地が多く,文化4年には鳥飼村の田5町余・畑25町余,南鳥飼村の田5町余・畑23町余(農政農民史料集)寛延記によれば,地内に古城(鳥飼城)跡があり,新田義信が築いたと伝承するまた,延元元年菊池武敏の下座郡三奈木城を足利尊氏の武将仁木義長が攻撃した時の戦場の1つとも推定される瑞夢山蓮休寺は天正6年御井郡友光村に創建されたが,5代釈宝海の時現在地に移転した南鳥飼には新田義信の建立という印若大明神がある(社方開基)明治初年まで井上柳平の寺子屋があり,明治9年には三川小学校が現鳥飼橋北側に開設された(大刀洗町史)同年三川村の一部となる現在の大刀洗町三川の中央部および西部にあたる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7441909