二村(近世)

江戸期~明治22年の村名。筑前国夜須郡のうち。福岡藩領。「元禄郷帳」「天保郷帳」では朝日村の枝郷と見える。寛文初年東西に並んでいた十三塚を毀して村を立て,村名も十三塚村として成立した。はじめは村のうちに夜須郡と御笠郡の境が設けられ,南は朝日村,北は山家村のうちとされた。それゆえ村名も二村町と称したが,元禄14年に村の北を両郡の境とし,人家はすべて夜須郡に入れ,町を除いて二村と称した。村高は,「元禄国絵図」「天保郷帳」ではともに二村町と見え77石余,「旧高旧領」でも77石余。産土神は宝満宮で,寛文年間御笠郡山家村より勧請したという。明治初期の戸数24・人数112(男56・女56),馬1・牛9,荷車1,田6町余・畠3町余・大縄田畠6反余・山林13町余,正税は米・大豆20石余,雑税は米・大豆6斗余と金3円余,ほかに免取扱料・山運上米など(地理全誌)。同22年中津屋村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7443026 |