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船越荘(古代)


 平安期に見える荘園名。筑前国志摩郡のうち。仁平3年4月29日東大寺諸荘園文書目録(守屋孝蔵氏所蔵文書/平遺2783)に東大寺末寺の観世音寺領関係の文書として「一巻〈十五枚〉永承四年船越庄四至牓示沙汰文書」とあるところから,当荘が観世音寺領として立券されたのは永承4年と考えられている。「小右記」寛仁3年6月29日条には「船越津」に女真族刀伊が侵入し,防御の武士と交戦したことが記されている(史料大成2)。保延3年3月日の筑前国観世音寺封荘作田地子段米注進状によれば,船越荘の田積は現作田27町8段180歩である(根岸文書/平遺2366)。船越荘の四至牓示文書・府国使入勘免判・塩釜例文は各々一巻に仕立てられて,代々相伝された(筒井寛聖氏所蔵文書/平遺補299)。荘内の塩釜については,延喜5年10月1日の筑前国観世音寺資財帳(東京芸術大学所蔵/平遺194)に「志麻郡加夜郷」の「焼塩山」が見えていることとの関係が注目されている。なお,天正年間の「指出前之帳」には御床【みとこ】村の枝郷として見える。天正19年3月23日の志摩郡田畠検地帳(朱雀文書/県史資料10)には「田数壱町九段大,畠数拾弐町六段半卅」と見えている。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7443049