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鏡荘(中世)


 鎌倉期に見える荘園名。松浦郡松浦東郷のうち。鏡山およびその麓の鏡神社を中心に形成された集落・神領が荘園化したもの。鏡の地名ははやくも「肥前国風土記」に「鏡の渡」と見えるが,「華頂要略」建暦3年2月条には「鏡社」が,同年4月の天台座主慈円配分状には「鏡庄〈肥前〉」が見える(青蓮院文書)。また,仁治元年10月14日付の「二階堂文書」にも「肥前国鏡社」と見える(薩摩国阿多郡史料)。さらに正応5年の惣田数注文の荘園分に「松浦東郷鏡御領三百九十八丁四反三丈」と記され,鏡神社の社領地として見えている(河上神社文書/佐史集成1)。「吾妻鏡」文治2年12月10日条によれば肥前国鏡社宮司職に草野次郎大夫永平が補任されているが,以来,当地に草野氏が土着。鏡神社とその神領,すなわち鏡荘の荘域は草野荘と称されるようになった。下って,正平17年11月25日付の安富泰重軍忠状によれば,南北朝争乱時に北朝方についた松浦党一族は,同年9月筑前福井付近に進出,この松浦党の蜂起は一旦退散したものの,翌10月には再び「鏡・浜崎」地方に蜂起している(深江文書/佐史集成4)。なお,「吾妻鏡」貞永元年9月17日条によれば,「鏡社住人」が高麗に渡って夜討をかけ,多数の珍宝を盗み取ったという。こうした海賊行為にもよるが,当地には半島系の遺物も多い。鏡神社の神宝には,至大3年,高麗で画かれた「楊柳観音画像」があり,恵日寺の朝鮮鐘は巨済島のもので,鐘銘に「大平六丙寅九月日河部曲北寺鍮鋳壱躯入重百二十一斤棟梁僧談白」の文字が鋳込まれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7444828