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白山町(近世)


 江戸期~昭和44年の町名。江戸期は佐賀城下の1町。寛政元年の幕府巡見使への報告に見える城下三十三町の1つ。佐賀城の北に位置する。長崎街道が東西に通り,家並みは街道に沿って東西にのびる。東は勢屯【せいだまる】町,西は米屋町に接する。北には十間堀川が流れ,橋を隔てて唐人町と対するが,橋のたもとには高札場があった。「勝茂公譜考補」には「天正十九年蠣久ヨリ佐嘉へ町御引キ移シノ時,六座町・伊勢屋町・中町・白山町ヲ始メニ御引キナサレ,其後段々諸町立ツ」とあり,当町は慶長13年の城下町割り以前から町造りが行われた古い町の1つであった。竈数は,承応3年佐賀城廻之絵図では83,元文5年屋敷帳では50。嘉永7年白山町竈帳の総竈数71,人数339(男187・女163),身分別竈数は家来2・徒士5・足軽26・被官7・仲間1・その他の有姓者6・座頭1・町人23,とくに多い職種の竈数は日傭取4。これによれば,身分別には足軽が最も多く,町人がこれに次ぐ。職業ではこのほかに上方呉服問屋,町人頭などが2人ずつおり,他町とちがって大商人が居を構えている。特に呉服や丸散(丸薬)商の武富忠蔵や煙草その他を商う香月新兵衛は代表的御用商人である(嘉永7年白山町竈帳)。武富家は明人十三官を祖とし,その子孫は当町や勢屯町・大財【おおたから】村に居住し,忠蔵の祖父順蔵は天明3年家伝薬万金丹の藩内販売権を与えられ,享和2年には隣の大村藩の財政復興を援助し,大村領内にも家伝薬の販売権を得ている(泰国院様御年譜地取)。香月家は小城【おぎ】郡牛津【うしづ】の出身で,元禄9年佐賀城下中町で珠数商を営んでいたが,宝永元年当町に移り,呉服・小間物・荒物などを営んだ。幕末には,伊勢屋町の横尾丈右衛門に菓子の製法を習い,現在もその子孫は佐賀市屈指の菓子店として活躍している(香月家記録)。当町の別当は当地のみならず,米屋町・勢屯町の町政をも統轄していた。嘉永7年の宗派別竈数は一向宗31・禅宗21・法華宗5・浄土宗13。社寺としては米屋町との間に竜造寺八幡社と高寺がある。いずれも,もとは城の近くにあったが,慶長年間に当町地に移建した。竜造寺八幡社は白山八幡社とも称し,建久年間に竜造寺季益が鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を勧請したものである。幕末にはこの社の鐘が佐賀城下の時鐘として使われた(直正公御年譜)。なおこの境内にある楠神社は楠木正成を崇拝する義祭同盟の枝吉神陽らが本庄村から移して祀ったものである。臨済宗高寺は正しくは瑞竜山竜造寺といい,本尊は十一面観音で,竜造寺季益が再建した寺である。本堂天井の竜の絵は赤松源左衛門秀精の筆になる(佐賀市の文化財)。「旧高旧領」では高31石余とある。「明治7年取調帳」では枝町に勢屯町がある。「明治11年戸口帳」によれば,戸数188・人口725。明治22年佐賀市に所属。同24年成章高等小学校が設立された。大正13年職業紹介所開設。昭和43年一部が佐賀市中央本町となり,残余は昭和44年佐賀市白山1~2丁目となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7445591