高津原村(近世)

江戸期~明治22年の村名。藤津郡のうち。鹿島藩領。能古見【のこみ】郷に属す。もとは尾崎村。貞享4年改元文3年写郷村帳および「宝暦郷村帳」には,「尾崎村又言高津原」とあり尾崎・高津原が併称されていた。江戸末期頃には,「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える東ノ谷・西ノ谷・中ノ谷の3か村をあわせて高津原村の名が用いられるようになった。享和元年写御領中郷村附および万延元年改郷村帳では,高津原村の枝村に尾崎・東ノ谷・西ノ谷・中ノ谷がある。村高は尾崎村として「正保国絵図」「天明村々目録」ともに324石余,「天保郷帳」では375石余,「旧高旧領」では高津原村として1,075石余。当村の開発は鹿島3代藩主鍋島直朝が寛文年間足軽組を設けてこの地に居住させたことにはじまる。当時の戸数は約70で各戸に宅地5畝と家禄4石5斗を与え,別に組知行として36町を北鹿島中村の地に給与した(直朝公頌徳碑)。今日でも当地の農家が中村に耕作地を有しているのはこの理由による。高津原は元来乏水性台地であるために水田耕作には不適であったが,鍋島直朝は4個の溜池を築いて作水に供した。寛永6年に築かれた観瀾堤・吹上堤は中川の上流4kmの木庭(西三河内)から巨岩を割り大石を削って山腹に敷設した一条の水道を水源とした。今に残る鹿城【ろくじよう】川(高津原水道 殿ノ溝)がこれにあたり土地の人々はシイドウ(水道)と呼んでいる。また貞享年間には吹上の下堤,文化13年には横田新堤が築かれた。鹿島城は佐賀城に対して鹿島館あるいは陣屋と呼ばれるものであるが,一般には鹿島城あるいは鹿城と呼ばれた。鹿島城ははじめ北鹿島常広の地にあり,常広城(恒広城)と呼ばれたが,低湿地で水害を受けることが多く,文化4年当地に移転した。城の規模は当村のうち現在の城内地区(字柏・田代)の全域にあたり東西約4町・南北約8町である。城下町としてはわずかに新町が北鹿島中村に代わって台頭してきた。なお城郭は明治7年佐賀の乱で焼失している。旧城の東側には歴代藩主を祀る松蔭神社がある。同神社は桜の名所で,文久3年藩主鍋島直彬が城の一角に桜を植えて衆楽園と名づけ,広く庶民に開放したことに始まる。藩校は,寛文9年常広城内に睡足舎が営まれ,のち養花堂と改称し,さらに寛政元年古賀精里を招いて充実をはかり徳譲館と改めた。当村に城が移った後は,安政6年弘文館を城門の前に開設し,付属校として明倫堂を設置,明治3年弘文館を鎔造館と改称し,同5年には鹿島義塾とした。明治6年旧明倫堂の校舎を利用して開設された高津原小学校は,明治18年重ノ木小学校・行成小学校と合併し,立教小学校と称した。鹿島義塾は明治9年廃され変則中学校となり,同11年長崎県鹿島中学校,同16年佐賀県鹿島中学校と改称。同20年にはさらに私立鹿島英語学校となる。寺院は鷲ノ巣に浄土宗の立川山浄林寺(元禄15年超誉上人開基),横田に日蓮宗正立山本長寺(慶安3年久布白兼鎮開基),鬼塚に浄土宗月桂庵があった。明治4年鹿島県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」では枝村に中牟田村・横田村・片山村・西牟田村・中牟田宿がある。「郷村区別帳」では反別172町余。「明治11年戸口帳」によれば,当村は旧郭内(45戸・251人),高津原村(139戸・693人),西牟田村(45戸・228人),新町(155戸・741人),中牟田村(33戸・164人),横田村(30戸・148人),片山村(14戸・68人)に分かれており,合計戸数461・人口2,293。明治初期の村は広さ東西13町・南北25町。税地としての反別は138町余(うち田102町余・畑36町余),改正反別は210町余(うち田112町余・畑60町余・宅地20町余・山林15町余)。貢租は,地租米786石余,金2円33銭7厘,ほかに賦金11円79銭,国税金は1,061円58銭,改正租金2,563円91銭3厘。戸数450,神社1,寺3,人口2,285(うち男1,092・女1,193)。牡馬18,日本形船17(500石未満1,200石未満1,50石未満15)。橋は湯江往還の中川橋・新町橋(現横沢橋)・大手橋。中川水道は中川から取水して新町・西牟田に通じ,用水および近傍の作水に供する緊急の水道で村内で数条に分かれ,縦横に疎通して長さは約11町。池沼に横田溜池・夫婦溜池・吹上溜池・観瀾溜池がある。高津原小学校の児童数は男224・女77。物産としては,米1,200石・麦540石・大豆80石・甘藷15万斤・茶250斤・タバコ600斤・半紙1,500〆・生蝋500斤・年魚10万尾などがあり,郡内のほか佐賀・長崎・島原などへ移出された(藤津郡村誌)。明治7年本町に鹿島郵便取扱所が設置され,同16年には為替・貯金業務の取扱いを開始し,同21年新町に移転した。明治22年南鹿島村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7445726 |