熊入村(近世)

江戸期~明治22年の村名。山鹿郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」429石余,「正保郷帳」も同高でうち田345石余・畠84石余,「天保郷帳」も同高,「旧高旧領」434石余。なお慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高429石余・反別42町4反余,うち田が345石余・28町3反余,畠が84石余・14町余,物成4ツ3分(山鹿市史)。「肥後国誌」では山鹿手永に属し,高434石余,永禄8年下吉田村の村民が当村に祀ったという天満宮(熊入神社),寛永年間の勧請という若宮大明神宮(若宮神社)が記される。文政9年の山鹿手永高物成并惣軒数等書付(肥後国郷村明細帳2)では,竈数47・人数230,馬32,大工1人・屋根葺3人・給人1人などとある。字大坪には4か所の湯坪があり,文政年間に湯屋が開かれ,明治4年に改修され,明治3~5年の年間平均の浴客数は3,000人(山鹿市史)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田33町7反余・畑33町1反余,戸数68・人数281,馬36,物産は,穀類のほか甘藷・楮皮・蘿蔔・茶・生糸・木綿など,民業は農業36戸・大工職3戸・木挽職1戸など。同19年の戸数89・人口392(山鹿市史)。同22年八幡村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7451378 |




