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古閑村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。八代郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」816石余,「正保郷帳」も同高でうち田713石余・畠103石余,「天保郷帳」953石余,「旧高旧領」1,309石余。「肥後国誌」では高田手永に属し,高1,161石余,小村に立原村・横小路村などの名が見え,寺院は浄土真宗東派浄沢寺,地内の虚空蔵堂は寛永年間八代城主細川三斎の寵妾立法院尼が再興したとある。浄沢寺本堂は,慶長13年加藤清正が子忠正のために東宮地村に建立した本成寺の本堂であったが,細川三斎が父幽斎の菩提寺として八代城出丸に泰勝院を建てた時の本堂として移建し,さらに八代城主松井家の菩提寺宗雲寺の本堂,織田信長の菩提所泰巌寺の本堂を経て,明治9年に浄沢寺本堂として移設された(八代市史)。神社には若宮神社・竜神社がある。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。江戸期にたびたび干拓が行われ,明治初期まで八代海に向かって拡張され,大半は水田で,物産は主に米・藺草。北部では明治初期まで塩田があり,塩浜・西塩浜の字名が残る。明治4年寺子屋を設置,同7年廃止して,上野村に教場を設置した。同16年上野小学校古閑分校を設置,同20年会地村の本校に合併した(八代郡誌)。同22年八千把村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7451602