五町新開村(近世)

江戸期~明治8年の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野南部,白川下流左岸に位置する熊本藩領「寛永郷帳」では西新開村とともに675石余となっているが,慶長12年の検地帳(県立図書館蔵文書)によれば,高355石余,竈数17,家数23,人数45,牛8とある(飽田町誌)「正保郷帳」では村高376石余うち田341石余・畠35石余,「天保郷帳」383石余,「旧高旧領」363石余はじめ権藤【ごんどう】手永,のち横手手永に属す(同前)「肥後国誌」では横手手永に属し,高356石余熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年の戸数22・人口109,田畑反別24町9反余(同前)同8年護藤【ごとう】村の一部となる現在の熊本市の通称五丁にあたる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7451661 |




