宝町(近世)

江戸期の町名熊本城下武家地の1つ代継橋近くの白川右岸に位置し,もとは城下の町人町であったが,寛永20年町屋を白川左岸に移し,その跡地を侍屋敷としたそのため武家地の小路でありながら,丁でなく町と称されてきた町名は古く享保年間頃の「堀内伝右衛門覚書」に見え,「肥後国誌」にも小路の1つとして見える府中案内道矩(県立図書館蔵文書)には「元宝町」と記される明治7,8年頃と考えられる白川県肥後国熊本全図(県立図書館蔵)には「宝町」と記されているが,これは当時なお俗称として残っていたものを記したと考えられる明治5年以降の合併記録にも宝町の名は見えず,明治4年以前には新鍛冶屋町の一部になったと思われる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7452548 |




