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戸口浦村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。宇土郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」60石余。「肥後国誌」によれば郡浦手永に属し,「里俗戸口町ト云」と見え,網田村のうちとして高60石余。天保8年の郡浦手永略手鑑(辛川家文書)によれば,高60石余,竈数77・人数540。戸口神社がある。由緒によると,応永13年京都北野神社の分霊を勧請したという。烏賊祭りという漁の祭事が5月10日に行われる。また村内には11枚立高札場と戸口浦下番所が置かれていた。番所は島の山の高所にあったという。なお寛永14年の天草・島原の乱では,戸口浦の漁船は,軍兵・武器・食糧の輸送に使用されたという(西念寺文書)。寛政4年4月の雲仙岳(長崎県)爆発による津波では,流失家屋156軒・溺死535人の被害を受けた。地内の阿弥陀堂境内に,同年9月の藩命による1郡1基の津波供養塔が建てられている(熊本県潮害誌)。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同10年の西南戦争では,政府軍の一部隊が戸口港に上陸,山を越えて宇土に向かったという(網田村郷土史)。「郡村誌」によれば,田2町余・畑16町2反余,戸数163・人数895,牛9・馬3,日本形船70(50石未満漁船),物産は穀類のほか甘藷・蘿蔔・鰡・鰈・石道魚・烏賊・蛸・海老・姥貝など,民業は農業145戸・旅籠屋2戸・洗湯職1戸・穀物屋3戸・漁業50戸(半農)など。同22年網田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7452914