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加江田(中世)


 鎌倉期から見える地名。日向国宮崎郡のうち。海江田とも書く。建久8年の「日向国図田帳写」には,八条女院領国富荘の一円荘の分に「加江田 八十丁」と見え,地頭は平五と見えるが実名は不明。応永28年の「五郡田代写」にも「加江田八十町」,天正19年の「日向国五郡分帳」にも「加江田〈上下〉八十町」と見える。室町期になり,応永10年の頃,島津元久は,伊東氏を「山東加江田倉そこノ城」に攻め,新納氏の被官隈江実久が討死したという(山田聖栄自記/鹿児島県史料集7)。ここで加江田城とは区別して「倉そこの城」が記されていることから,倉そこの城は加江田城(車坂城)の出城的な城とみられる。次いで島津久豊は,応永30・31年と加江田城を攻略した。応永31年の合戦の際,島津氏は加江田城に入城し,加江田・隈野・木原などは,久豊の御料所(直轄領)となったと記している(応永記/旧記雑録前2,山田聖栄自記/鹿児島県史料集7)。その後,長禄年間頃に生きた野辺盛仁の所領目録(野辺文書/鹿児島県史料拾遺6・旧記雑録前1)には,「加江田郷一円」と記し,野辺盛仁は加江田の知行安堵を期待していたことがわかる。文明13年3月8日,伊東祐尭は「加江田郷吉田名」の地を加江田の青島大宮司に寄進しており(青島神社文書/日向古文書集成),以上の経過からみて,室町期以降,加江田は伊東氏の強い影響下にあったことが知られる。伊東氏が島津氏に敗れた元亀3年5月4日木崎原合戦頸注文(義弘公御譜中/旧記雑録後1・大日料10‐9)には,「かい田衆」として河崎主税が見え,海江田衆が伊東氏方として見える。天正6年3月,大友氏・伊東氏との耳川合戦に先だち,同年3月2日,「海江田之本衆,七浦内海通之者共」が島津氏に反し,海江田の島津氏の番衆を襲い,飫肥方面に逃げている(日州御発足日々記/旧記雑録後1)ように,海江田は伊東氏勢力の強い地であった。日向が,島津氏の一円領国になるに及び,天正8年8月11日,島津義久は上井覚兼に「海江田之城所領八拾町」の替地として薩摩永吉郷を宛行っているが(諏訪文書/旧記雑録後1・日向古文書集成),覚兼自身は宮崎城に入り,加江田も領する宮崎地頭に任じられた。この時期,天正11年4月7日,田野の狩の際,海江田衆は曽井・清武・穆佐【むかさ】・細江・田野の衆とともに参加し,同14年7月27日の筑前岩屋城合戦では覚兼指揮下の高城【たかじよう】・清武・宮崎・海江田の衆に負傷者が出ており,海江田には覚兼自身の直の被官である忰者がいるように,海江田は覚兼の宮崎地頭下の重要な構成要素をなしていた。海江田の寺社をみると,天正11年閏正月6日,覚兼は弟鎌田兼政とともに,「海江田」に赴いているが,木花寺・諏訪社・伊勢宮・円福寺を参詣して,紫波洲崎の父上井薫兼を訪ねている。伊勢社では,天正11年7月3日,弓場で弓を「加江田衆」に引かせており,伊勢社は被官たちの鍛練の場でもあった。また,海江田の蘓山寺にも,よく参詣しており,天正12年8月1日の八朔の時は,蘓山寺でもてなしをうけている。この蘓山寺にも,弓場があったことが知られる。また,同年8月19日,覚兼は,前年,海江田の常瑠璃寺に遊行上人が一宿したと伝えており,この寺院は時宗寺院かとみられる。また,加江田方面で狩を行う際は,加江田の内山に鹿蔵をおいたことを記しており,同年2月22日,覚兼は加江田に赴く際に,内山に宿しているように,内山は加江田方面への宮崎からの重要な交通路にあたっていた。この加江田の古城に,天正11年7月7日,覚兼は新城の構築を考えており,加江田の防備に関心を払っている。加江田と関連して,木原や殿所は「木原町」「殿所町」と記されており,町場的なものが形成されていた(以上,上井覚兼日記)。島津氏が豊臣政権に敗北してのち,海江田は天正16年8月5日豊臣秀吉知行宛行目録(伊東文書/日向古文書集成)によって,伊東祐兵に宛行われるが,目録には「八十町 加江田」と見える。この田数は,建久図田帳の田数に一致し,豊臣秀吉の日向の知行割に建久図田帳の利用されたことをうかがわせる。なお,「上井覚兼日記」によれば,当地には「殿所」なる地があった。天正11年5月13日,殿所より宗琢・隼人佑の両人が各々,酒の上樽を持って宮崎地頭上井覚兼を訪問している。翌12年6月9日には,「殿所町にて宗琢呼候間」,覚兼は早朝に居所を出て「海江田」に赴いている。その後,天正14年6月27日,覚兼は鹿児島へ参候するため,「加江田」へ罷り越し,殿所にて網を引かせ見物しており,同年10月1日には,宮崎へ帰る途中,殿所の浜之衆と酒宴を開いている(以上,上井覚兼日記)。殿所とは,当地の海岸沿いの地で,あるいは「町」といえる集落が形成されていたものかもしれない。そのほか,「上井覚兼日記」には,九平・堂の分・苗田・長野など,当地内あるいは付近とみられる地名が散見する。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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