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都於院(中世)


 平安末期~鎌倉期に見える院名。児湯郡のうち。「宇佐大鏡」(大分県史料24)田島荘の項の寛治7年8月29日の立荘時の国符に四至として「西限郡(都)於院境」とあるのが初見である。鎌倉期になると,建久8年の「日向国図田帳写」に前済院領として「没官領 地頭宇都宮所衆信房」「都於院百五十丁」児湯郡内,「預所同人,地頭土持太郎信綱」とある。当院の項はわかりにくく,「預所同人」とは藤田別符の名主重直をさすのか,平郡【へぐり】荘の地頭預所右馬助殿広時をさすのか意見が分かれる。前者は図田帳の進撰当事者の1人権介日下部重直であり,後者は東国御家人であろうといわれている。前済院は後白河院皇女式子内親王であろう。没官領として,鎌倉幕府有力御家人であり蔵人所衆の宇都宮信房に与えられていたようである。「日下部姓之系図」によると,日下部盛平は近衛院御宇に都於郡地頭領主以下に補任され,文治3年に「新納土持冠者栄妙」を養子として在国司職以下の所領所職を譲っている(日向国荘園史料1)。この「新納土持冠者栄妙」が図田帳に当院地頭として現れる土持太郎信綱である。南北朝期以降には,都於郡,また都於郡院と称されるようになった。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7460508