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仲田村(近世)


王府時代の村名中頭【なかがみ】方与那城【よなぐすく】間切のうち沖縄本島中部の東海岸,勝連【かつれん】半島南部に位置する村名は「絵図郷村帳」「由来記」には見えず,「中山伝信録」「琉球国志略」に見える嘉慶11年(1806)勝連間切の人々が,新田の開発や用水路の整備で褒賞された記事に,平安名【へんな】川からの用水路が嘉喜名原・大川原・仲田村に引かれたとある(球陽尚灝王3年条)前後の内容から,あるいは仲田原の誤記と考えられる与那城間切総地頭の名島は仲田で,仲田親方と名乗ったという(南島風土記)現在,与那城村屋慶名【やけな】に小字仲田が残るしかし,古老の伝承によれば,勝連町平安名と内間にまたがって仲田原があり,平安名川の近くに仲田と呼ばれるところがあるという内間の仲田原には,明治初期まで瓦焼窯があり,水田も残っていたといわれる現在その一帯はサトウキビ畑となり,かつて村が存在したという伝承は残っていない




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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