前兼久(近代)

明治41年~現在の恩納村の字名。沖縄戦で住民は,イチグスク・幸地原に避難し,昭和20年4月27日には羽地村に収容され,帰郷は各家個々に行われた(恩納村誌)。戦前は屋敷林としてフクギが多かったが,戦後集落内の道幅を改修する際ほとんど切り倒されてしまった。また,現在の国道58号沿いの水田地帯が住宅地化して,北隣の富着とつながり,さらに南側も丘を切り崩して住宅がつくられ,集落は仲泊とつながろうとしている。恩納村内で最も漁業が盛んで,海産物土産店があり,前兼久漁港も完成が近い。旧正月の初めに初海という祭りが,漁業関係者全員によって行われ,その日の獲物は祭りに使われる。国道西側にはムーンビーチホテルが建設され,海水浴客などが絶え間なく訪れる。世帯・人口は,昭和45年105・495,同52年138・575と増加している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7465054 |