100辞書・辞典一括検索

JLogos

25

人見村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。多摩郡府中領のうち。「田園簿」の村高は38石余ですべて畑地。「天保郷帳」の村高は38石余。幕末には,松村忠四郎支配所30石余,青木大三郎知行38石余であった(旧高旧領)。明治2年の人見村明細帳(河内家文書)によると,村高は38石余,持添新田30石余,戸数53・人口365とある。はじめ旗本の山中氏の知行所であったが,延宝6年旗本の青木氏にかわり,そのまま幕末に至った。享保期に現在の小金井市内の梶野【かじの】新田の隣りに持添新田を開発。元文元年に検地を受け幕府領に入れられた(府中市史)。化政期は,民家58軒が府中路の往来に並居した(新編武蔵)。村の北に人見山と呼ばれる人見塚があり,村の西の叢林には館跡がある(新編武蔵)。人見山の南麓から澗泉が湧出する(歴史地理)。村の西に人見氏が住んでいたという上屋敷の小名があった(武蔵名勝)。明治4年神奈川県,同11年からは北多摩郡に所属。同22年多磨【たま】村の大字となり,飛地は小金井村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7615774