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28

である
【である】


dearuhskip

1zw文、話の末尾表現。名詞などにつく助動詞。〈富士山は日本一である〉のように、断定、指定の意を示す。日常声にだしては用いない。[中国語]是。(to) be.

【語源解説】
〈です〉と同じように16世紀と19世紀に別々に二種のデアルの言い方がある。前者からは、同類のダ{だ}、ヂ(ジ)ャが派生。すなわち、古代語の助詞、ニテに同じく動詞、アリが複合してニテアリと成立。ニテはたとえば、〈京にて生れたりし〉(土佐日記)などと用いる。近代語では、〈わごぜは今やう〔歌謡〕は上手で〔にて〕ありけるよ〉(平家物語)のように、ニテ→デと語形が凝縮され、アリと一体となって、デアルが成立。さらにデアルのル(ラ行音のル)が脱落してデァとなり、デァ→ダ/デァ→ヂャ(ジャ)として用いられた。しかしデアルは一般的にならず、話しことばでは、省略形のダ(東国)、ヂャ(ジャ(関西))が同じ機能をもって用いられた。しかし一方19世紀、江戸後期にはいると、翻訳語として、デアルが用いられる。すなわち、長崎蘭通詞によるオランダ語文の翻訳である。たとえば、〈Dat is een schoon huis. ソレハ綺麗ナ家デアル〉(和蘭文語凡例)のような訳文。これは幕末~明治期の英文翻訳にもひきつがれ、〈It is the great of the city. 其レハ市中ノ最大ナル家デアル〉(英語箋)などとみえる。このデアルが、明治期にはいって、広がって一般的となった。訳し手は主として長崎蘭通詞であり、日本の開国、開港と同時に、通訳として一部横浜に移住したため、デアルは〈横浜ことば〉とも俗称された。翻訳という点では、同じく中国古典、たとえば『唐詩選』の翻訳、いわゆる漢文訓読という方法の中でも、江戸期には〈総テ是玉関ヲ思ノ情デアル〉のようにみえる。したがって、江戸期は外国語の翻訳文にはデアル体が確立した。

【用例文】
○唐詩の白髪三千丈、広いに縁(よ)って個(かく)の如(ごと)く髪(かみ)髦(のけ)までが長いである(浮世床)○彼人はまだ学文に入はな〔入口〕である/響は空気の娘である/四十九の平方根は七つである/彼等はまだ初恋である(ドゥーフ・ハルマ)○健康ハ富ヨリ大ナル宝デアル(和蘭文語凡例)○天地の中に発(で)現(き)る事は皆万有(ナチュール)の作(はら)用(らき)である(民間格致問答)○頭の上で木の葉が戦(そよ)いでゐたが、……私語(さゝや)ぐやうな音である(二葉亭四迷)○小さな熊手といふ格好である(嵯峨の屋おむろ)○同(ひとつ)種(たね)の人間である小(こじ)姑(うと)が何が故に鬼であるか/其一斑を聞いたものは独(ひと)り母親(おッかさん)である/万(まん)更(ざら)僻(ひが)見(み)とも謂(い)はれぬのである/苦労が多くて不覊(のんき)の寡(すくな)い居(ゐ)候(さふろふ)である(尾崎紅葉)○おれは………思ひ切りはすこぶるいい人間である/山嵐と赤シャツはまだ談判最中である/命令されて形式的に頭を下げたのである(漱石)
【補説】
いわゆる明治期の〈言文一途/言文一致体〉の文章はデアルを一つのモデルとして採択し、のちにはこれが標準的となる。声に出しては用いないが、もっとも大切な文章体。⇒〈だ〉〈です〉




東京書籍
「語源海」
JLogosID : 8537821