国家システムの移り変わり


◎近代主権国家はヨーロッパから世界へ
近代主権国家は、①言語や歴史などの文化の同一性による共同体、②絶対的な政治権力(主権)、③領土の三つの要素の組み合わせからなりたっている。こうした近代主権国家は、17世紀に西欧固有の政治システムとして普及し、西欧が世界を制覇するとともに世界化した。現在は約190の主権国家が地球上に存在している。
こうした3要素を組み合わせた国家が最初に形成されたのはイタリアであるが、三十年戦争(ドイツ)の講和条約の1648年のウェストファリア条約以後、ヨーロッパの国際政治の単位となった。また、この秩序を維持するために列国がとった「勢力均衡」政策も、イタリアからヨーロッパに広まっていった。
◎国王をオーナーとする主権国家
それまでの、土地を仲立ちとする私的な主従関係の組み合わせからなる封建社会では、上級領主も下級領主もそれぞれ固有の領土をもっており、頂点に立つ国王の支配は名目的なものにすぎなかった。
しかし、大砲や鉄砲が出現して戦争のスタイルが一変すると、傭兵軍隊、常備軍を維持できる国王の力が抜きん出るようになり、国王の宮廷を中心とする「主権国家」が形成されることになった。
この時代には、宗教改革でカトリック信仰にもとづく国際秩序が崩壊したこともあり、一定数の主権国家が王の血縁関係、常駐使節の交換、権謀術数などによる「宮廷外交」でバランス・オブ・パワー(勢力均衡)をはかり、共存を実現した。
◎領土は王の身体の一部?
1648年のウェストファリア条約は、国王の領土主権を規定して近代主権国家の基盤を築いた。16世紀ころから各国の国王は、常備軍と官僚による集権支配を進め、王権神授説を唱えて自らの絶対的な支配権(主権)が神に与えられたものであると主張し始めた。このような支配システムを絶対主義(絶対王政)という。この時期、領土は王の身体のようなもので分割できないと主張されていた。
しかし、フランス革命で国王が処刑されると、主権は「国民主権」となって議会に移り、議会が制定した法律により国民は支配されることになった。そのような国家を「国民国家」という。

![]() | 日本実業出版社 「早わかり世界史」 JLogosID : 8539773 |