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![]() | 宮前[近畿地方] |
安曇(あど)川右岸に位置する。対岸は当地方の首邑市場。地名の由来は,朽木(くつき)大宮権現(邇々杵神社)の社前であることによる。同社の祭神は日吉山王で,貞観元年僧相応が葛川明王院創立時,ここに勧請したと伝えられる(神宮寺縁起)。市場村の蛭子神社とともに,朽木谷の総産土神である。祭式には神輿渡御・流鏑馬・翁面式・御田鋤神事がある。社人は本社と蛭子神社に奉仕する総神主を室戸(むろと),本宮(河内社)に奉仕する本邨(ほんむら),末社に奉仕する師邨(しむら)がある。室戸は宮前・坊・上柏(かみがせ)・大野・古川から出るのが定例。本邨2人の内,1人は宮前の氏王氏が古来勤仕した。同氏は朽木家より苗字帯刀を許され,宅地田畑の租も免ぜられた。翁面式の主役を演じ,献能にはつねに同氏が諸事を周旋した。同家には今に堆朱(ぐり)面を秘蔵するが,これを取り出せば必ず洪水を招くと伝承されている。神宮寺は貞観年間,相応和尚が朽木大宮大権現の宮寺として創建したもので,朽木氏入部以来その訴願所であったが,中途火災に遭い現在は三重の多宝塔のみを残存する。文化14年修覆の棟札がある。
【宮前(中世)】 室町期から見える地名。
【宮前村(近世)】 江戸期〜明治12年の村名。
