検索結果一覧
3件Hitしました
1から10件/3件中
![]() | 烏山[関東地方] |
南北朝の臨済宗の高僧中厳円月の詩文集「東海一漚集」の「自暦語」に,正安2年2月乳母に抱かれて武州烏山に帰ると記されたのが初見,次いで嘉元3年6歳の時,外祖父に迎えられて名越(なごえ)に至り,病を得て烏山に帰ったとある。天文年中には,小田原北条氏の家臣高橋民部少輔劉氏高が深大寺(じんだいじ)城(調布市)主難波田弾正と合戦,民部谷の名が残り,また天文25年1月23日吉良頼康が民部谷を泉沢寺に寄進している。烏山砦址は字児ケ谷にある(世田谷区史・世田谷区史料2)。地名の由来は,往時この地がうっそうたる大森林でカラスが群棲していたことによるとの説などがある。
【烏山村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【烏山(近代)】 明治22年〜昭和11年の千歳村の大字名。
【烏山町(近代)】 昭和11〜45年の世田谷区の町名。
