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![]() | 川井[四国地方] |
古くは宇津井とも称した。剣山の北麓,吉野川南岸の支流穴吹川の上流域に位置する。東に富貴山・天行山,西に正善山・城ノ丸などの900〜1,200m級の連山が南北に並ぶ。中央を穴吹川の源流木屋平川が北流し,これに明神・麻衣(あさぎの)・川井・びやの木・栃谷の5つの谷が流れ込む。古くから水利に恵まれた地で,宇津井・河井の地名は,こうした地形にちなむものと思われる。大正年間頃川井の大桜八幡ノ丸から,石鏃が出土したというが,現存していない。廃寺真言宗竜華寺は平安中期からの古刹と伝え,境内の大スギは高さ50m・根回り27m・樹齢千数百年といわれたが,昭和22年に伐採された。本堂は同41年に解体され,平安末期の作とされる本尊の阿弥陀如来など5体は現在真言宗極楽寺に安置されている。同寺はもと麻衣にあり,昭和34年当地に移転した。平安中期の創建と伝え,本尊の阿弥陀如来は天喜5年の作という。寺宝に鎌倉期の機織の糸わく,城ノ丸縁起,新田義宗の位牌,義宗供養の板碑があり,現存する大般若経400巻の中には元久3年記銘3巻,正平2年記銘1巻がある。麻衣の西ノ宮蔵王権現は正平2年の創建と伝え,最古の棟札は正平20年7月13日の年紀を有する。大唐金昌は「阿波志」に帰化人金昌とあるのは誤りで,南北朝期に小屋平氏を頼って当地に住した南朝方の武士で,後年修験道山伏となり,竜華寺へ鰐口を寄進し,弁天山に経塚を築き多数の板碑を建立したという。また梅津掃部頭春元も当地に住した室町期の武士で,この数代のちの分家である梅津左馬亮は,蜂須賀家政の近世化政策に反抗したが,説得されて降伏したという(麻植郡郷土誌)。当地には板碑が多く,161基が確認されている(木屋平村史)。民話「ふんどしの放り替え」が伝えられている。
【河井(中世)】 鎌倉期に見える地名。
【川井村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【川井(近代)】 明治22年〜昭和29年の木屋平村の大字名。
【川井(近代)】 昭和29年〜現在の木屋平村の地区名。
