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![]() | 潟元[四国地方] |
古くは方本・片元・片本とも書いた。屋島山麓の南西部,瀬戸内海に突出した海抜293mの屋根型の溶岩台地とその山麓のうち,ほぼ相引川以北の半島に位置する。地名の由来は,屋根型の溶岩台地の山麓周辺に,時代とともに土砂が多く沖積して遠浅をなし,干潮時海岸一帯が干潟となることから起こった(木田郡誌)。寛永年間以前,屋島は完全な島であり,その北端長崎の鼻には長さ63mの前方後円墳があり,全部で10基ほどの古墳があった(同前)。古代天智天皇の時代には屋島城が築かれており(日本書紀),また奈良初期には唐僧鑑真が屋島北嶺の地に寺の基を開き,弘仁元年空海(弘法大師)によって南嶺に移された四国霊場八十八か所第84番札所真言宗南面山千光院屋島寺がある(屋島寺縁起)。屋島の南東から東側の山麓の地は,源平合戦の古戦場地として著名であり,また,世阿弥作の謡曲「八島」には「塩屋」とあって,塩をとるための揚浜式の塩田が,すでに室町初期までに成立していたようである(観光学術読本屋島)。
【方本(中世)】 室町期に見える地名。
【潟元村(近代)】 明治23年〜大正8年の自治体名。
