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![]() | 木太[四国地方] |
喜多(和名抄)・喜太(讃岐府志)・喜田(測量日記)・木田(讃岐国神社考)などと書かれた。また,その位置から単に北とも書き,古くは入江とも称したという。春日川以西の下流域にあって,大池(新池)・亀池および小池から北方に広がる詰田川流域に位置する。地名の由来について牛頭天王社(現八坂神社)の縁起には,古く入江の郷と称した当村に,正暦元年8月,牛頭天王が楠の槎に乗って流れついたことから,奇代の郷とよびあらため,その楠から芽が生じたので,村人は喜びが多くあるきざしとして喜多とし,その後,その楠が次第に大きくなるのを見て木太と称したとある(木田郡誌)。また一説には,木太は城田の意で,古代天智天皇の時代に屋島に築かれた屋島城の城田のあったところから転じたともいわれる(讃岐史要)。当地はきわめて平坦な地域で,10m以上の高地はない。
【喜多郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【木太郷(中世)】 戦国期に見える郷名。
【木太村(近世)】 江戸期〜明治23年の村名。
【木太村(近代)】 明治23年〜昭和15年の自治体名。
【木太町(近代)】 昭和15年〜現在の高松市の町名。
