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![]() | 満久[近畿地方] |
古くは幕とも書いた(播磨鑑)。中播丘陵北東部。地名の由来は,牧場のマキが転訛し,それに嘉字を当てたとも考えられる。また,もとの名主の満久の名を音読した名田の名残とする説もある。満久城は関東御家人内藤左衛門佐盛勝が康永元年馬渡村に来住,累代居住し,子孫左京進盛次は赤松政則に従って戦功があり,文明4年馬渡谷(もうだに)の地名が武門に不吉として満久に居を移し満久山に拠ったという(加西郡誌)。「蔭涼軒日録」延徳3年9月19日条によれば,内藤馬次郎は多可荘の公文職を持ち,広照院の被官人である叔父を前年に殺害していた(大日本仏教全書)。その後,天正年間頃は別所氏に属し,豊臣秀吉進攻の際は三木に籠城し没落した。内藤清三郎は旧領,馬渡谷を領した秀吉の臣,戸田勝隆を頼り,四国仕置に参加,伊予国宇和郡河辺郷の内宇和川村で180石を給せられたが,慶長年間に浪人して帰郷したという(内藤家文書)。
【満久村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【満久(近代)】 明治22年〜昭和42年の大字名。
【満久町(近代)】 昭和42年〜現在の加西市の町名。
