検索結果一覧
12件Hitしました
11から10件/12件中
![]() | 下間仁田[関東地方] |
碓氷(うすい)川の右岸の南方に東西に長く広がる台地を古くから横野といい,当地はこの台地上に位置する。台地の南部が下間仁田,北部が上間仁田。古くは蒔田といい,牧田すなわち牧の公田ではないか(安中志略)という。伝説によれば古くは鰻荷田・間荷田とも書き,享保年間から間仁田に改めたという(東横野村誌)。なお,真仁田は戦国期から見え,永禄6年5月10日の北条氏康・氏政連署知行充行状(安保文書/県史資料編7)に「上州河北根本足利領内」として「真仁田」と見え,安保晴泰・同泰通に宛行われている。天正8年と推定される辰7月2日の長井政実判物(飯塚文書/同前)には「四貫文□〈はき平〉真仁田分」と見え,飯塚六左衛門尉に預け置かれている。
【下間仁田村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【下間仁田(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
