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(近世〜近代)江戸期〜現在の町名。江戸期は高松城下の1町。高松城の東南,城下の東部に位置する。寛永17年高松城下絵図では南北に堀(疎水)が流れていた。同19年松平頼重が入部の際は,福光免と称される愛行院(片原町の華下天満宮,古天神さんと呼ばれる)の社領であったが,寛文7年には福光免を福田町と改めて町家とし,宝永年間から町方支配となる(政要録)。享保年間の城下図には馬責場跡と武家屋敷に接した東側に福田町が記される。寛政元年の「御領分明細記」にも「福田町」と記す。天保15年の高松城下絵図では福田町の南に「新御長屋」が建っている。中山城山(全讃史の編著者)が享和・文化年間頃当町で塾を開き,幕末には藤沢東畡も私塾を開いていた。また画家には中川愛山(長町竹石に学んだ中川馬嶺の子)もこの町に住み,山水画をよくした(高松市史)。明治8年の戸数373・人口1,334(梶山家文書)。同23年からは高松市の町名となる。同30年頃の商家は薬商1・紙商1・綿商3・染物商1・質屋商4・仕立物商3・生魚商1・反古問屋2・青物仲買1・酒仲買1・古道具商15・古着商3・八百屋物商2・髪商1・宿屋業1・洋傘商1・傘商1・金物商1・硝子商1・建具商2・塗物商3・畳商4・大工1・堤灯商1・医師2(繁昌懐中便覧)。昭和初期には二宮建具店・中村重次郎商店(建築金物製造)・横山建具店などが設立されている。大正期から昭和初期頃郷土玩具の研究者植松泉亭が住んでいた。世帯数・人口は昭和16年339・1,380(男658・女722)。同20年の高松空襲で当町は全焼,同28年には266・989に復興,同40年249・797,同50年248・614,同55年218・501。昭和33年一部が瓦町1〜2丁目・古馬場町・御坊町,同39年塩屋町・古馬場町・御坊町・瓦町1〜2丁目となり,同年塩屋町の一部を当町に編入する。
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