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長平
【ながだい】


旧国名:陸奥

岩木山北麓に続く台地上に位置し,地内東部を鳴沢川,中央部を同川支流湯舟川,西部を中村川支流徳明川がそれぞれ北流する。当地域には中世の寺院である永平寺と西法寺の寺跡があったという(国誌)。永平寺は岩木三か寺の1つである景光院永平寺で,岩木山参詣道が北麓を通り始めた頃当地に建立されたという(西津軽郡史)。同三か寺の1つ観音院西法寺があったことは,岩木山山頂北西部に西法寺森があることを見てもわかる(国誌)。三か寺のうち残り1つ岩木山定額寺(定額院般若寺)は神託により寛治5年北麓の十腰内から南麓の蔵ケ畑に移され,光明山百沢寺と改称していた。のち江戸期になり,弘前藩2代藩主津軽信枚によって永平寺と西法(方)寺が百沢寺に合併され,あわせてそれまで三方より登っていた岩木山参詣道は百沢からの道1本に統一された。これによって,長平からの参詣道は衰微した。百沢寺光明院縁起(弘前図書館蔵)によれば,両寺が合併されたのは寛永6年頃と思われ,百沢寺は同年新たに客殿・庫裏・虚空蔵堂が信枚によって建立され,さらに寺領400石を与えられている。この400石の寺領は,寛政3年の先年より沢定覚によれば,百沢寺寺領200石と,永平寺跡100石・西方寺跡100石をあわせたものであったことがわかる(平山日記)。遺跡としては長平遺跡があり,土師器などを出土。また谷口に長平館跡がある。領主・築城時期は不明。
長平村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
長平(近代)】 明治22年~昭和30年の中村の大字名。
長平町(近代)】 昭和30年~現在の鰺ケ沢町の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012081