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秋間
【あきま】


旧国名:上野

碓氷(うすい)川の支流九十九(つくも)川に注ぐ秋間川流域に位置する。北に茶臼山・石尊山・天神山などが連なり,南には200~600mほどの丘陵が東西に広がる。当地は7~10世紀頃にかけてかなり大規模な瓦と須恵器を焼成した窯業地域で,下秋間八重巻・雉子ケ尾や中秋間刈稲(かんね)窯跡など20か所以上の窯跡が存在していた。7世紀後半には二軒茶屋・磯貝塚・万福原古墳など切石を使用した横穴式石室の古墳も分布している。「上野国神名帳」(総社神社蔵/県史資料編6)に見える「碓氷郡従三位飽馬明神」は現在の安中(あんなか)市西上秋間にある飽馬神社とも考えられるが,同社はかつては安中市中秋間字宮貝戸にあったもので,現在は少し下流の中秋間字宮原にある大森神社に比定されている。伝説によれば,日本武尊が武蔵国から入った東征の際,長い原野の中を乗馬し飽きてしまったので眺望の良い伊勢森に宿陣したことから飽馬の地名となったという。なお「吾妻鏡」元久2年6月22日条(国史大系)に安達景盛の輩下として見える「飽間太郎」や,元弘3年5月15日の年紀を有する徳蔵寺板碑銘(県史資料編6)に見える「飽間斎藤三郎藤原盛貞生年〈廿六〉……於武州府中五月十五日令打死,同孫七家行廿三同死,飽間孫三郎宗長卌五於相州村岡十八日討死」などは当地の豪族である。
飽馬郷(古代)】 奈良期~平安期に見える郷名。
飽間郷(中世)】 戦国期に見える郷名。
秋間村(近代)】 明治22年~昭和30年の碓氷郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7044306