西谷村
【にしたにむら】

(近代)明治22年~昭和45年の大野郡の自治体名。真名川上流域の山岳地帯。下笹俣・上笹又・中島・黒当戸(くろつど)・本戸・小沢・下秋生・上秋生・巣原・熊河(くまのこ)・温見(ぬくみ)の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11大字を編成。役場を中島に設置。明治44年の戸数410・人口2,680,大正14年の世帯数523・人口2,655。人口は,昭和10年2,480,同25年2,518。耕地がないため,古来より散剥山の焼畑で蕎麦・稗・粟・大豆などを,地力が衰えるまでの5,6年間輪作したが,以後も耕作権が続く「むつし」制度が慣行。このほか男は鉱山稼ぎ・炭焼き,老幼婦女は養蚕・黄蓮栽培,冬は紙漉に従事した。明治44年の生産高は繭2万3,000円・紙1万4,000円・稗1万2,000円・粟2,000円・薪炭4,000円などであった。特に紙漉には明治44年村内410戸のうち200戸,女子1,271人のうち711人が従事した(大野郡誌)。昭和期に入っても上笹又・中島・黒当戸・秋生・巣原での紙漉は盛んであった。また鉱山が多く,銀・銅・亜鉛を産した。明治44年大阪監督署調べおよび「大野郡誌」によると,中天井鉱山・中ノ水鉱山(上秋生),高屋鉱山(中島)などが稼業,立佐古・瀬柄・ヲロ原・大蔵谷・北大雲文禄山・南大雲極楽谷(中島),サント平(巣原),蕪谷(本戸)の諸鉱山は休山,温見金山は隆盛を誇ったが,鉱毒問題を起こして廃山。大正4年に決定した「大野郡西谷村是」は向こう50年間杉・檜・欅・栗の4種を1戸平均2町に30本を植林し,100町の造林達成を提唱(西谷村誌)。昭和32年11月,県営真名川総合開発事業が完了,小沢・下秋生・上秋生は笹生川ダムの湖底に沈み,そのため孤立化した本戸も離村,同年9月の世帯数316・人口1,844。昭和34年9月の伊勢湾台風,同36年9月の第2室戸台風は村全域を襲い,特に巣原・熊河・温見に山崩れ,道路流失,橋梁流失などの大被害をもたらした。続く同38年のいわゆる三八豪雪は2か月にわたる交通途絶・電話不通・停電,そのうえ生活物資の枯渇を引き起こし,住民を極度の恐怖に陥れた。春が来て熊河・温見は,惣山を売るなど移転費を捻出して離村した。昭和40年9月の世帯数269・人口1,162。過疎の原因は,災害のほか昭和20~30年代に年平均14万3,000俵を生産し村民所得の65%を潤していた木炭の需要激減によるところも大きい。昭和40年9月1,000mmを超す集中豪雨が襲い,中島と上笹又は全村流失あるいは埋没,被害額は建物9億円・道路堤防28億円・農林関係10億円,合計47億円にのぼった。戦後の大手企業によるブナ林の資源濫伐が,事故を誘発したことは否定出来ない。中島・上笹又の被害者はこの年,大野市街地で冬を過ごした。孤立した巣原は同41年離村,事実上無住の地となった西谷村はなおも再建計画を推し進めたが,同年7月建設省の真名川ダム建設決定によって廃村を決めた。同45年大野市の一部となり,当村の11大字は同市の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7094289 |




