淡輪
【たんのわ】

旧国名:和泉
和泉山脈西端,大阪湾に注ぐ番川の流域にあり,標高400m余の分水嶺から海岸までの地域に位置する。南を山地,北を海に画された緩傾斜の台地から,崖状に下る浜までが主要集落で,番川の下流から山間部の上流にかけて,峯地蔵・別所・畑の集落がある。古代は,豪族紀氏の勢力圏で,周濠のある2つの古墳,東のニサンザイ(宇度墓),西のニサンザイ(西陵)をはじめ,鴻巣山・真鍋山など多くの古墳がある。なお,地内の黒崎は「土佐日記」承平5年2月1日条(古典大系)の和泉の灘から箱ノ浦へ向かう記事の中に「くろさきのまつばらをへてゆく」とある。
【田身輪邑(古代)】 奈良期に見える村名。
【淡輪荘(中世)】 鎌倉期~室町期に見える荘園名。
【淡輪村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【淡輪村(近代)】 明治22年~昭和30年の自治体名。
【淡輪(近代)】 ①昭和30年~現在の岬町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7151443 |




