箸中
【はしなか】

旧国名:大和
古くは箸墓と称した。大和川(初瀬川)支流纏向(まきむく)川上流域に位置する。地名の箸中は箸墓の転訛で,ハシは土師の義か。土師氏は陵墓の築造や喪葬儀礼に関与していた。箸の字は,崇神朝に倭迹迹姫が大市に埋葬された時その墓を「箸墓」と称したことにちなむ。姫が箸で陰を突いて薨じたためその号があり,「是の墓は,日は人作り,夜は神作る。故,大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまでに,人民相踵ぎて,手遞伝(たごし)にして運ぶ」と伝承される(崇神紀10年9月条)。箸墓は壬申の乱の際にも「箸陵」と見え,三輪君高市麻呂・置始連菟が上ツ道を北上し,近江軍をここで破ったという。当地にある葺石の多い前方後円墳(大市墓)に比定される。また「魏志」倭人伝に見える邪馬台国女王卑弥呼の墓に比定する説もある。
【箸墓郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【箸中(古代~中世)】 平安期から見える地名。
【箸中村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【箸中(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7168814 |




