天久
【あめく】

旧国名:琉球
方言ではアミクという。「おもろさうし」に「あめく」と見える。沖縄本島南部,天久台地に位置する。沖縄考古編年前Ⅳ期・後期の崎樋川貝塚,前Ⅴ期・グスク時代の天久遺跡,後期の崎樋川貝塚B地点などがある。南宗の咸淳2年(1266)奄美諸島(鹿児島県)の島々が中山に入貢,その後貢物を納める倉(大島倉)が現在の県立泊高校の地に建てられた(中山世譜)。大島倉は,奄美諸島の島々が薩摩支配下となった万暦年間(1573~1619)まで続き,のち聖現寺の敷地となる。嘉靖15年(1536)天久地頭に麻姓4世真孟が任じられた際の,辞令書が残る(県文化財調査報告書18)。
【天久村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【天久(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7239690 |




