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大向村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。三戸郡のうち。盛岡藩領。三戸通に属す。村高は,「正保郷村帳」139石余(田39石余・畑99石余),「貞享高辻帳」174石余,「邦内郷村志」207石余(うち給地197石余),「天保郷帳」975石余,「天保8年御蔵給所書上帳」210石余(御蔵高32石余・御免地高3石余・給所高175石余),「安政高辻帳」782石余,「旧高旧領」233石余。「仮名付帳」には枝村として赤石村・沖田面付が記されるが,「邦内郷村志」「旧高旧領」ではそれぞれ独立した村とされる。「邦内郷村志」では,家数84,集落別内訳は大向75・長谷6・小浪田3,馬77。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の上,家数78,集落別内訳は本村74・長谷4。名久井岳の北東麓一帯に藩営牧の住谷野が設けられ,当村の東には木戸口があった(九牧図/盛岡市中央公民館蔵)。集落の中央に長谷山神社があり,祭神は伊佐那岐命で,旧村社。沖田面村東光院の隣には天狗杉がある。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南【となみ】藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の家数は本村101・長谷6,地味は中の中,田は稀少,茄瓜・果樹を栽培するという(国誌)。明治12年の「井武政表」によれば,戸数110・人口609(男326・女283),学校1,馬115,物産は米・麦・雑穀・麻糸・蔬菜。明治10年大向小学が開校し,同12年の児童は男43。同年三戸~向間に住谷橋が完成した。同22年向村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7250417